晴れるまで雨やどり。

雨音は好きだけど、ずっと雨はやだ。

どしゃぶり。

何か月ぶりかの、バケツをひっくり返したような雨だ。

雨音なんて一言でいっても、その音の種類はあまりに幅広い。アスファルトが打たれる気配だけが伝わるような雨もあれば、水の粒が窓を打つ連続的な音を、くっきりと感じる雨もある。

今日はというと、アスファルトに出来た水の膜を終始新しい水の粒がうち波紋を描き続け、その水の膜そのものも溢れ流れて次から次へと排水溝への川を作っていることが分かるような、何種類もの音色が激しく重なる水音である。

 

この夏、関東は雨が本当に少なくて、水の気配といえば暑い中よどんだ重たい湿気だった。それがここ数日、急に気温が下がって外の空気がすっかり秋の気配に塗り替えられてしまった。

 

涼しい風と、浅い色の空。乾いていく空気を濡らすような金木犀の香り。

好きな景色が来る前に、出来ることをやらないといけない。

 

裸足で踊る

ダンサーのお友達が開催している、ダンス教室に行ってきた。

6月の初回に続き、2回目。

 

前回は思ったより早く最寄りについて時間を持て余してしまったので、今回は10分前に現着しようと計算して出たつもり…が、乗るべき電車の種類を間違え、目的地をすぎ、戻り、再度乗り換え…と失敗に失敗を重ねて大きく遅刻してしまった。

時間より前に準備をしている講師たる友人ダンサーにも、時間通りに集まっている他の生徒にも大変失礼な事をで、焦れども電車の速度が変わるはずなく、ただ自分の迂闊さが情けない。慣れぬ路線は普段より慎重にいかねばいけない。もしこれが採用面接などであったら、失礼な上に人生を左右しかねなかったところでもあり、自分の為にも、良くない。

 

内心大汗をかきつつ20分ほど遅れて入室し、途中からストレッチに参加させてもらった。遅れてきたくせに、ちょうど空いていたスペースの真ん中を陣取らせて頂くという不心得もしつつ。ぐいーと体を伸ばすと心地よい。日頃のストレッチ時間を増やしていたせいか、前回のレッスンよりも良く体が伸びるようになっていたように思う。

それでも毎日しっかりやっていたころに比べれば筋肉が固いゴムみたいで、柔軟性の衰えは否めないけれど…少なくともここ1ヶ月ほどの小さな習慣は実っていたという事かもしれない。

 

ストレッチ、ウォーミングアップ、振り付けという大きな流れは前回と同じ。

ただ、今回はおそらく初回の生徒の動きを見て必要と感じたのであろう、ダンス振り付けの前段階的な要素がウォーミングアップに入れられていた。

 

「脱力する」「歩く」「走る」

 

「脱力する」時、脱力している部分意外はは逆にしっかり支えないといけないから、慣れていないととても難しい。

脱力していない側の肩が前に倒れてしまう。

腕の脱力に気を取られると、頸の脱力を忘れて、もたげてしまう。

骨盤を前に向けたままポーズを保てず、正面に対して前後斜めになってしまう。

ゆっくり動いてもそんな有様だから、速い動きになると、さらに、とても難しい。

 

そして、「歩く」「走る」は以前小劇場に立った時から、そして普段から苦手としていたところ。

とにかく、ごまかしがきかない。振りやポーズでなんとなくいい雰囲気に見せるなんて事が出来ない。

体のバランスが崩れていたら、その形もそのまま現れてしまう。

 

歩く事、走る事、普段なにげなくしている動作を表現として行う場合、まず必要なのは表現のベースとなる「何も表現しない」ニュートラルな状態だと思う。

疲れているわけでも、年をとっているわけでも、足が悪いわけでも、トロいわけでもない。個性を持たない、ベースとしてただ最低限の美しさを保った動き。

役者というのは本来、その土台の上に役の個性や状況に合わせた動きの表現を乗せるはずだと思うのだけれど、演じる必要のない多くの人は、それまでに生きてきた生活、日常の動きのクセがすでに体に染みついてしまっている。

 

表現者になるという事は、第一にその余計なクセを取り除けなければいけないのだと思う…が、私は小劇場での出演においても、そのハードルを越える事が出来なかったし、そもそも越え方が分からなかった。試行錯誤しても、どこか何か違う。綺麗じゃない。そうではない。だから結局動きのベースを作れず、(それなりに役のイメージを持って意識はしていたものの)自分の素のままの動きをその役の個性とせざるをえなかった。

 

だから、今回「歩く」「走る」という基礎的なところを指導してもらえたことがとても嬉しく、ありがたかった。けれどもちろん一朝一夕で治るわけはない。体幹の弱さによる姿勢の崩れやストレートネックによる体のバランス、筋肉の付き方の歪みから意識して日常の動きを積み重ねることで、ようやく解消できることだろうと思う。

 

その部屋の中で、ダンサーである彼女だけが、しなやかで生物らしい形をしていた。姿勢も、動きも、筋肉も。積み重ねた結果としてそこにある、美しい形に憧れる。

 

次のレッスンにもなんとか行きたいし、問題点を少しは解消できればいい。

 

 

嘘のない人

5.6年程前から好きな役者がいる。

 

知ったきっかけは、舞台をやっている友人からの「すごい役者さん、大好きな尊敬してる先輩」という賞賛の声で、実際にその方が出演した舞台のDVDを見てぐっと心をつかまれてしまった。

 

技巧的というよりも、やや荒っぽく、感情で引き込むような役者だった。

狂おしい人という印象。とても男性的な色気がありつつ、やんちゃさを感じさせるところが女性の母性本能を大いに刺激する雰囲気だ。

 

紹介してくれた友人をとても信頼していたこともあり、その友人がベタぼめにする人間性というのもあいまって、すっかりその役者に入れ込んでしまった。

本当に若いころに付き合った、印象深い恋人と表情が似ている…ように感じられた事が、実は一番の理由かもしれない。その恋人本人とはあんまり沢山の出来事がありすぎて二度と会おうとは思わないが、その役者は私がまだ何も知らず、その後の混乱なんて知る由もなかった、無邪気で幸せだった時間の彼を思い起こさせるのだ。

 

公演団体や各出演役者がブログやTwitterにアップする写真の中で、特に集合写真はいつも怒ったような顔をしている。

怒っている顔、ではなく「怒ったような顔」少し暗い陰りのある優しい色をした目で、口元がぶっきらぼうに結ばれているのをよく見る。逆に数人でのショットになると、満面の笑みでニッカリと笑っていたりする。

 

それが無駄な愛想はまかない人、嘘のないまっすぐな人柄に見えて、キュンとしてさらに惹かれてしまう。

 

好きな役者さんは何人もいる、最近は若手で綺麗な容姿の方もたくさんいる。

もともとわいわい騒ぎ立てる事に照れを感じてしまう事もあり、もしそういった若い華やかな役者を目の前にする事があっても落ち着いていられる自信はある。

けれど、万が一その特別なひとりの役者を目の前にする事があれば、落ち着こうとしても舞い上がっておかしなことを口にしたり、緊張でうまく動けなくなってしまうに違いない。

 

それほどに落ち着かなくさせる、素敵な役者なのである。